ゆきえのチャットレディヒストリー9~まさかの月収100万超え・激貧生活でカードローン地獄・デビューがDXLIVEとは!

長いなー、引っ張るわけではないけど歳をとりすぎてるせいで、やっとここからチャットレディデビューのお話しです。

長々と前置きがあってごめんなさい。

 

おのれの歴史なんぞどうでもよい おすすめ教えれ!という方はこちらから

チャットレディ 副業

20世紀も終わったこの頃、私は20代も後半寄りとなってしまいました。

俗にいうアラサーってやつですね

もちろん当時はそんな言葉ありませんでしたが。

 

仕事の人間関係や業務内容に全く不満は無かったのですが、いかんせんお給料がとても安くひとりで生活していくのはとても大変な状況になっていました。

前職は「こんな人間関係いや!お給料が安くてもいいから精神的に安らげるところがいい!」と、おもって転職したのがいけませんでした。

何かを得るには何かを犠牲にしなければならないわけで、遊びたい盛りの私はお金で行き詰まりかけていました。

この頃はカードでお洋服などを買っていましたが、まあギリギリ返せる範囲。

 

私は昔から今まで「お金がなければ働けばいいじゃないの」というタイプなので、一度はやってみたかったお水の世界に足を踏み入れました。

そこは、もともととある有名クラブでナンバーワンだったホステスさんが、大物パトロン(後に贈賄事件で逮捕されてました(;´д`))をバックにして作った店でした。

自分のお客さんはもちろん作らないといけませんが、美しいママ目当てで来るお店だったのでアルバイトの私は結構楽しんでお仕事をさせてもらいました。

ニュースや新聞で見る人にもたくさんお目にかかれて、なかなかできない体験ができた2年弱でした。

ですが、滅多に来ないお客様が私のシフトの時にいらして、なんとその奥さまが私の職場がらみの方で、いわゆる身バレをして最終的にはお店をやめざるを得ないという形になりました。

 

お水をやめた私、そもそも今までいたお店でさんざん甘やかされていたので普通のお店はきっとつとまらないし、

 

この頃は、おかせぎは悪くはなかったものの使ったお金は買い物または返済という感じだったので、まあその後は雪ダルマ式💦

気付いたら借金がまさかの130万円となっていました!

メールレディは単価が低いので、返済に充てるには馬車馬のように働かないといけない、仕事の楽さを取るか、転職をするか…でも働くのが好きというだけで何の取り柄もない女に仕事があるのか。このまま風俗か…orz、と考えるようになり、久々に「女性のための高収入求人を見ると、そこには「パソコンで男性とお話をする仕事です」。

ん?前にやったアレみたいな感じ?それなら全然OK…と思って、後にはひけない状態の私はとっとと登録をしました。

 

それがいまでも隆盛をほこる「DXLIVE」だったわけです。

ああ、ここまで長かったですね。読んでくださったみなさまありがとうございます。

でも、ここでやっとチャットの入り口なんですよ(;´д`)

なので、早く各チャットについて知りたいかた、おすすめチャットを知りたい方はこちらをご覧くださいね。

 

タイプ別おすすめチャット(工事中)

 

DXLIVEに登録し、ついにチャットレディへの足を踏み入れた私です。

チャットレディ経験者の方がこのブログを読んでたら「えっ?しょっぱなからDXなの?」と思う人がいるかもしれません。

 

DXLIVEがどんなところかを知りたい方はこちらから(準備中)

 

私も最初は「え?ここ大丈夫なん?」と思いましたが、いま思えば最初がこのサイトで良かったなと思うし、お客様はいちばん紳士が多いのではないかなと思います。

 

チャットサイトは、創成期、そしてとにかく色んなサイトができた乱立期を経て、クローズや合併をいくつか繰り返して今のように棲み分けができた状態となっています。

それでも生き残り、いまでも大規模なサイトということは、やはり女の子の質が高かったり、サイトとしてのブランディングができているんだなって思います。

私がDXLIVEに登録した頃は創成期だった&私もまだ若かったのでw、登録したてでなにもわからないなりにもたくさんのお客様がきて、初日のおかせぎは日本円にしてなんと30000円でした!

ハードなことをするパフォーマーさんも多いサイトですが、私はそもそもハードなことは無理!と最初からしませんでしたが、それでも固定のお客様がついて、コンスタントにおかせぎすることができ、カードローンはお仕事をはじめて5か月目にはまとめて完済し、DXLIVEでは、2年近くお仕事を続けていました。

DXLIVEにいた時の最高月収は102万円でした!

日給は最高で9万円でした。

本業は別にあったので、どちらも有休や長期休暇の時ではありますが、あの頃は体力もあったんだなーって思います。