ゆきえのチャットレディヒストリー2~安月給の貧困OL
さてさて、女子大寮の公衆電話からテレクラに電話をしてお客様をおちょくっていたひどい女子大生は数年の時を経て無事に卒業し、就職をしました。
女子大に入学したときの4年生の先輩方はまるで銀座のお姉さま方のように美しくて、学食は銀座のクラブかと本気で見紛うほどの華やかさでしたが、それより遅れること数年に就職をした私なんぞは就職率自体はよかったものの、バブル景気の恩恵を被ることはなく、あっけなくバブルがはじけてしまった、そんな時代でした。
大学を卒業後、実家に帰り地元の大手企業に就職したのはよいものの、そこは卸系の企業だったので、メーカーの華やかさとは違い、メーカーや客先にへこへこしつつ、倉庫を行き来したり、営業さんの怒号を聞きながらろくにマニュアルも無いのに仕事をする、というような、見かけと中身は違ったなと思われる会社でした。
大学生活ですっかり遊びクセもつき、自立心も強くなってしまった私は、半年でその会社をやめ、実家を飛び出し自力でとある職場に入りました。法曹関係の職場です。
ぱっと見、おかたくて、人に言っても恥ずかしくない職場でしたが、法に基づいて行われている仕事だからこと、扱うお客様は無法地帯を生きる人もそれなりにいらして、自立心が旺盛とはいえ、はじめて見るような人たちにびっくりする日々でした。
更に「こんなしっかりした職場にどうしてこんな人がいるのー!」という元ヤンのような先輩がいて、すごく怖かったので…そこは3年で辞めました。
次に働いた場所は、大学時代に仲の良かった友人も働いていて、とっても居心地がよくて天国のような場所だったのですが…お給料が安かったのです…orz。
前職のお給料がまあまあ良かったので、それにガマンをすることはできなかった私、とりあえず副業をしようと、最初はまじめに印刷会社のデータ入力や週末にお見合いパーティーのアルバイトなどをしていました。
印刷会社のデータ入力は、主に年賀状のデータが多かったですが、仕事が終わって寒い冬の夜にこたつに入ってデータ入力などしていたら寝落ちをする日などもあり、ちょっと体力的にはつらかったかなと思います。
比較的長く続いたのはお見合いパーティーのアルバイトでした。